女優の八千草薫さんが24日にすい臓がんで亡くなりました。
88歳でした。
元宝塚出身でとてもおしとやかなイメージの女優さんでしたので、非常に残念に思います。
八千草薫さんは今年の2月に肝臓がんを公表していましたが、一昨年にはすい臓がんが発見され手術をしていました。
術後は順調だったようですが、今年に入り肝臓がんが見つかったと言います。
そのため連続ドラマ出演も降板し治療に専念していました。
葬儀・告別式は近親者で行われたということで、後日お別れ会があるのかどうかは不明となっています。
改めて今日のお部屋は、八千草薫さんについてご紹介したいと思います。
遺作はドラマ「やすらぎの郷」になりますが、最期の映画は何でしょうか?
さらに代表作についてもご紹介しますよ!
八千草薫の遺作はドラマ「やすらぎの郷」で最期の映画は何?
【倉本聰氏 永遠のマドンナ悼む】https://t.co/KKFYj8tOUI
女優の八千草薫さんが死去したことを受け、半世紀にわたり親交のあった脚本家、倉本聰氏が取材に応じた。「僕らの世代にとって、八千草さんは美しく、永遠のマドンナでした」。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) October 28, 2019
八千草薫さんは上品な女優というイメージです。
私は非常に喜怒哀楽が激しいので、こういった女性に憧れます(^^;)
しかし、24日に亡くなっていたことがわかり、寂しい気持ちになってしまいました。
八千草薫さんといえば今年、テレビ朝日系のドラマ「やすらぎの刻~道」に出演予定でしたが、病気により降板していました。
一昨年、すい臓がんの手術をし順調に回復をしていると思われていましたが、今年に入り肝臓にもがんが見つかり治療に専念するという理由の降板でした。
回復されてまたテレビや映画でお見かけするのを楽しみにしていたファンも多いと思いますが、残念ながら願いが叶いませんでした。
八千草薫さんの遺作は「やすらぎの郷」になります。
#やすらぎの刻 ~道 を見逃した時は #テレ朝動画 で最新話をチェック✨
👉https://t.co/2vev7XwaA6一話から見直したいあなたはこちら💡
👉https://t.co/Xkcpk8aJP0一年にわたる壮大な物語をお見逃しなく‼️📺
— やすらぎの刻〜道 (@yasuragino_toki) June 16, 2019
このドラマは2期作で、八千草薫さんが出演していたのは1期になります。
先ほども言いましたが、2期目は病気治療のために降板しました。
その未公開シーンは11月6日に放送されます。
このドラマは昭和の代表と呼ばれるような俳優が共演しているすごいドラマで、主演は石坂浩二さんになります。
ドラマのあらすじを次でご紹介します。
昼ドラになるのですが、すごい話題になったドラマなんですよ(*^_^*)
テレビ業界黄金期に人気脚本家として活躍した菊村栄(石坂浩二)は、元女優で認知症を患った妻、律子(風吹ジュン)を献身的にかいごをしていました。しかし、妻に先立たれてしまいます。
献身的な介護の間、同居しながらも一切介護に関わろうとしない長男の嫁とも大きな溝が生じていました。
妻を看取って半年、気持ちの整理がついた栄は、生まれてから80年近く暮らしてきた東京を離れる決意を固めます。
栄は、東京の家を息子に譲り、自分はテレビに功績のあった者だけが無料で入れる老人ホーム『やすらぎの郷』に入居することを、決めました。そこで、一世を風靡した女優達と再会を果たします。
女優たちの持つ意外な一面を知ったり、余計な指摘からちょっとした騒動に巻き込まれるなど、多忙かつ新鮮な毎日に翻弄されるストーリーとなります。
→やすらぎの郷をAmazonプライムで観る
八千草薫さんの役は「やすらぎの郷」の最初の入園者の一人になります。
ご自身にマッチした役柄ではないでしょうか(*^_^*)
では、八千草薫さんの遺作はドラマでしたが、最期の映画作品は何でしょうか。
調べてみました。
最期の映画
最期の映画作品は「MIFUNE:THE LAST SAMURAI」になります。
📽HIGH BROW CINEMA📽
『MIFUNE:THE LAST SAMURAI』
5/12 初日舞台挨拶、有楽町スバル座にて公開‼️
全国順次公開です!
ぜひ劇場へお越しください★
#MIFUNE#三船敏郎#AKIRA#香川京子#司葉子#三船史郎#水道橋博士#監督#Steven Okazaki#映画#公開#HIGHBROWCINEMA pic.twitter.com/URRp4EYNgs— EXILE AKIRA (@EXILE_AKIRA_LDH) May 12, 2018
三船敏郎さんが出演した黒佐久監督映画、稲垣浩監督などに焦点を当て、日本の映画関係者や俳優、海外の著名人たちのインタビューに加え、貴重な映像資料、それらをもとに「サムライ映画」の進化について明らかにする映画になっています。
監督はスティーヴン・オカザキさんです。
八千草薫さんはインタビューに答えた感じになりますね(*^_^*)
EXILEのAKIRAさんも出演していた映画です。
しかし、この「MIFUNE:THE LAST SAMURAI」は、どちらかというと作品というより、出演した作品になりますね(^^;)
では、役としての映画は何でしょうか。
下記が最期の映画作品になります。
第36回モスクワ映画祭での上映では、CGを一切使わぬ映像を始め、日本映画の底力を示したと大きな話題を呼んだ『ゆずり葉の頃』2017/6/7 DVD発売決定!!https://t.co/WmJ2pi74DX pic.twitter.com/bUfTusZauF
— 松竹ホームエンターテインメント (@shochiku_video) February 28, 2017
市子(八千草薫)が少女の頃に好きだった人は、国際的な画家となっていた。
ある日、彼の個展の記事を目にした市子は、思い出の一枚の絵を求め、軽井沢へと旅立ちます。
母を気にかけ、後を追う息子の進(風間トオル)は、戦後の貧しい生活の中で、着物の仕立てをしながら過ごした「若き日の母の思い」や「心に封印した母の思い」を知らずにいました。
軽井沢で人のぬくもりに触れ、次第にほどけてゆく市子の心。
そんな市子に思いがけない出会いが訪れます。
八千草薫の映画の代表作は何?
引用元:https://pbs.twimg.com/media/EH8cOMAU0AALaUV?format=jpg&name=small
八千草薫さんの遺作はドラマ「やすらぎの郷」でした。
そして役柄としての、最期の映画作品は「ゆずり葉の頃」になります。
映画に出演していた最期は三船敏郎さんのドキュメンタリー映画にインタビュアで出ていました。
では、八千草薫さんの代表作といえば何になるのでしょうか。
八千草薫さんの代表作は下記のとおりです。
八千草薫さん、ご冥福をお祈り致します。鈴木英夫「若い瞳」の女学生役や「殉愛」の妻役、「田園に死す」「ガス人間第一号」「サトラレ」「白夫人の妖恋」、ドラマ「岸辺のアルバム」「福家警部補の挨拶」最終話他での好演が思い出深いが、個人的ベストは稲垣浩「宮本武蔵」シリーズの情念的なお通役。 pic.twitter.com/0rcuCUxPll
— 大口和久 (@thompson1280) October 28, 2019
この宮本武蔵は1961年に放映されたものになります。
吉川英治さんの小説「宮本武蔵」を原作としたもので、シリーズ前5部作になります。
八千草薫さんはお通役で、武蔵の恋人を演じていました。
#八千草薫 さんの主演映画で一番印象深いのは蝶々夫人だなぁ・・・イタリアの撮影所でマーロン・ブランドに口説かれそうになったとかいうエピソードが面白かった・・・合掌 pic.twitter.com/ZSwce3pWmj
— Gaiety Japan (@GaietyJapan) October 28, 2019
元はプッチーニのオペラ「蝶々夫人」を映画化したものになります。
八千草薫さんはその蝶々夫人を演じていました。
雪国 (1957)トンネルを抜けるとそこは雪国であった☃️#豊田四郎#池部良#岸恵子#八千草薫#森繁久彌#川端康成 pic.twitter.com/VIgl8WS8s1— 秘密の慶子 (@himitsuno_keiko) November 17, 2018
雪国は川端康成の名作を豊田四郎監督が忠実に映画化したものになります。
八千草薫さんは葉子役で芸者:駒子の義理の妹を演じていました。
まとめ
八千草薫さんが24日に亡くなっていたことが分かりました。
遺作はドラマ「やすらぎの郷」になります。→やすらぎの郷をAmazonプライムで観る
このドラマは今年続編で「道」が放送されているのですが、八千草薫さんも出演予定でした。
しかし、肝臓にがんが見つかり治療に専念するということで、降板されていました。
「~道~」の未公開シーンを撮っていたということで、11月6日に放送されます。
死因はすい臓がんになります。
すい臓がんは一昨年に発見され手術をしていましたが、今年2月に肝臓にもがんが見つかりました。
最期の映画作品は「HIGH BROW CINEMA」でEXILEのATUSIさんが出演している映画になります。
しかし、この映画はインタビューに答えると言う形になるので、役柄としては「ゆずり葉の頃」が最期になります。ゆずり葉の頃 [DVD]を購入する
代表作については「宮本武蔵」「蝶々夫人」「雪国」となりますが、他にもっとあります。
それほど、八千草薫さんは大女優さんになります。
最近、大女優や俳優の方の訃報が発表さるので残念に思うと同時に、それだけ年数が経っているのだと改めて命の尊さを感じました。