のっぽさん最後の出演は?本名や父親は奇術師だった?!

のっぽさん最後の出演は? 話題
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のっぽさんと言えば、「できるかな」で一言もしゃべらずに工作を生み出すことが有名でした。

お亡くなりになっていたことにビックリです。

いつが最後の出演だったのでしょうか。

そういえば、本名や出身はどこになるのでしょう?

今回はのっぽさんについてピックアップしてみました。

のっぽさん最後の出演はいつでどの番組?

のっぽさんが2022年9月にお亡くなりになっていたことが分かりました。

では、いつが最後の出演になるのでしょうか。

恐らくですが、毎日新聞に投稿されているYouTubeのなかで、戦争について語られているのが最後かもしれません。

上記の動画がその内容です。

コチラが投稿されたのが2022年8月13日になります。

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のっぽさんの出身地や本名は?

NHK教育テレビ(現Eテレ)で放送されていた「できるかな」に出演していた「ノッポさん」こと高見のっぽさんが昨年9月10日に心不全で死去していたことが10日、分かった。88歳だった。

引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/24206765/

のっぽさんは、生前自分が亡くなった時は半年以上たってから公表してほしいと言っていたそうです。

亡くなっていたことに残念に思いますが、そういえばのっぽさんって本名はなんでしょうか?

出身地など全然知らないことに今更驚きました(;^ω^)

管理人
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のっぽさんは私の世代なんですww

【プロフィール】
本名:高見嘉明(たかみよしあき)
生年月日:1934年5月10日
出身地:京都府
身長:181㎝

のっぽさんは、181㎝と高身長で、NHK教育テレビの子供向け番組「できるかな」で長く親しまれていました。

管理人
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1967年から「なにしてあそぼう」、1969年から「できるかな」でのっぽさん役として実に20年以上にわたりご活躍されていました。

有名なのが、一言もしゃべらずにジェスチャーのみで、工作をされている姿です。

相棒のゴン太君も私たちの世代では有名です。

管理人
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「できるかな」の文房具にのっぽさんとゴン太がいますよ。

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のっぽさんは、俳優で芸人だった父親のもとで修業をしていた経歴もあります。

2005年には「グラスホッパー物語」でみずから作詞と歌を担当されていました。

それだけでなく、児童書などの執筆や民放の子ども番組の放送作家としても活躍するなど子どもたちに関連する仕事をされていて、2007年にはNHKの放送文化賞を受賞しています。

のっぽさん「できるかな」の最終回はいつ?

のっぽさんで有名なのが、「できるかな」で一言もしゃべらなかったのに最終回で初めて喋ったというエピソードです。

では、最終回はいつだったのでしょうか。

1990年3月6日

できるかなは1970年4月から1990年3月まで放送されていました。

その後に、「つくってあそぼ」という番組になり、担当したのがワクワクさんで有名な久保田雅人さんと、クマの「ゴロリ」です。

のっぽさんが初めて喋ったセリフは

ナレーターのかずきが「あれ?ノッポさん、後ろに誰かいますよ?ほらほら」と語りかけたのに対し、ノッポさんが第一声「ええ、知ってますよ~」と発声。かずきの「え?今、誰が返事したの?」という言葉に対して「え?僕!」。「ひゃあ~!」。それに続いて、「はぁ~、あーあ、喋っちゃった。今日はね、特別なんです。えーとね、長い間ね、みんなと友達でいましたけど、『できるかな』は4月から、あの『ともだちいっぱい』という新しい番組と変わります。でね、今日はその番組の出演者の紹介です」

引用元:Wikipedia

 

のっぽさんの最初で最後の番組のセリフは、視聴者へのお別れの挨拶と後番組の紹介でした。

のっぽさんの父親の名前は?

先ほどご紹介しましたが、のっぽさんは俳優のお父さんのもとで修行していたことがあります。

では、お父さんの名前は何というのでしょうか。

高見嘉一さん

のっぽさんのお父さんの名前は、「高見嘉一」さんといい、奇術師や俳優として活動されていました。

1898年3月9日生まれの熊本県出身です。

芸名は、柳妻麗三郎(やなづま れいざぶろう)
奇術師時代の芸名は、松旭斎天秀(しょうきょくさい てんしゅう)
管理人
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奇術師とは、マジシャンのことです。

お父さんはやさしい人で、のっぽさんが失敗しても、怒らずに「たまたま運が悪いだけ」と決して自分の子供がだめなわけではないと疑わなかったそうです。

死ぬまでのっぽさんのことを買いかぶっていたそうですが、のっぽさんにとっては安心できる存在でした(*^^*)

 

 

 

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