三重県四日市では元マラソン選手の瀬古利彦さんが聖火ランナーに選ばれました。
そんな瀬古利彦さんについてインターネット上で、お子さんが病気で大変な状況にあると噂が流れていますが、一体どういうことなのでしょうか。
そこで今回は、瀬古利彦さんのお子さんに関する噂について調査してきました。
そもそも瀬古利彦さんにはお子さんは何人いるのでしょうか。
名前や経歴についてもご紹介します。
瀬古利彦の息子が病気の意味
瀬古利彦さんには、現在4人のお子さんがいます。
現在インターネットで話題に上がっている瀬古利彦さんの息子さんの病気説について調査してみた所、ご病気になられているのは長男の昴さんになります。
あまり聞き慣れないホジキンリンパ腫という病気について、簡単に説明すると以下の通りです。
分かりやすく言うと、リンパ球の一部がガンになっている状態です。
悪性リンパ腫に侵される人は少なくありませんが、日本ではそれがホジキンリンパ腫である可能性は全体の10%程度と言われています。
ホジキンリンパ腫は、症状が進行して日常生活で違和感が出始めてから、病院でレントゲンやCT検査を受けて発見されるというパターンが多いです。
瀬古昴さんも自分が病に侵されていることに気が付けず、自覚症状が現れ始めた2012年に検査を受けて自分の病気について知りました。
ホジキンリンパ腫は放射線や抗がん剤による治療が効果的で、通常であれば70%~90%という高い確率で治る病気とのことです。
中でも脳への転移は非常に珍しく、世界でも治療を受けた人が少ないとのことで、現在も治療を受けています。
瀬古利彦さんの長男である昴さんは、治療を受けて症状が良くなったかと思いきや、検査を受けると進行していることが判明し、その度に「またか」という思いに駆られると語っていました。
それでも前を向いて治療を受け続けられているのは、家族の叱咤激励があるからとインタビューで答えています。
瀬古利彦の子供は何人で名前や年齢は?【プロフィール】
それでは、改めて瀬古利彦さんのお子さんの名前や年齢はどういったものでしょうか。
先ほども記載したように、瀬古利彦さんには4人のお子さんがいます。
1人ずつ順番に経歴について紹介していきます。
長男:昴
掲載元URL:http://www.trad.server-shared.com/cgi-bin/sbu2_bbs/sbu2_bbs.cgi
一般人ということもあり、詳しい経歴については明らかになっていませんが、最終学歴が大学であることは明らかになっています。
大学時代は勉強よりもエコ活動に熱心に取り組み、卒業後は一般の会社に就職をしました。
1年ほど会社員として働いた後、「ピースボート船旅地球一周」に参加をするために会社を退職します。
地球一周のクルーズを終え帰国をしいつもの日常を送っていた1年後に「結節硬化型古典的ホジキンリンパ腫」の病気が見つかりました。
抗がん剤や放射線といった数々の化学的治療や、実の弟をドナーにした骨髄移植などを繰り返すも病気は治らず、現在も治療は継続中です。
2021年3月に自身の闘病生活など人生について記した自伝を発売しました。
次男:亜士武
瀬古利彦さんの次男である瀬古亜士夢さんもお兄さんの昴さんと同じように、一般人で個人でSNSなどをやっていないという理由で、名前や年齢以外のことについて明らかになっていません。
2020年1月に一般の女性と結婚をしたということは、明らかになっています。
この情報が明らかになったのは、プロ野球のトークイベントにお父さんの瀬古利彦さんがスペシャルゲストとして登場した時に、次男の結婚について言及したのがきっかけでした。
瀬古亜士武さんの結婚については、当時スポーツ新聞でも取り上げられています。
この記事の内容から、瀬古亜士武さんがスポーツ用品会社のミズノに努めていることがなどが分かりました。
三男:天理
参照元:https://twitter.com/KazukiNt/status/440817338711957504/photo/1
瀬古利彦さんの三男の瀬古天理さんは、兄弟の中で唯一お父さんと同じマラソン選手の道に進みました。
サッカーも相手のゴールに向かって前に走る競技だと思いますが、お父さんには横に走っているように見えたのでしょうか?(´・ω・)
サッカーでのポジションは分かっていませんが、出身中学は千葉県にある私立東海大浦安中学校になります。
瀬古利彦さんは東京都に住んでいるので、電車で通っていたと推測されます。
この学校は中高一貫となっているため、卒業後はそのまま東海大浦安高校に進学をしました。
お父さんの独創性のあるアドバイスで陸上に転向した瀬古天理さんは、高校時代に800mでインターハイに出場し3位の成績を収めます。
父親の瀬古利彦さんも高校時代に800m~5000mでインターハイに出場しているので、同じ種目で親子二代のインターハイ出場という快挙です。
瀬古天理さんは、高校卒業後、東海大学へ進学し陸上部に入部していました。
大学2年からは、マネージャーに転向して陸上部を裏方から支えていました。
瀬古天理さんは、選手として活動をしていた時にマスコミからのインタビューで、「箱根を走る姿を中継車に乗る父に見てもらいたい」と語っていましたが、残念ながらその夢を叶えることはできませんでした。
日本代表選手としてオリンピックに出場し、金メダル候補とも言われていた瀬古利彦さんのDNAを受け継いでいますから、怪我さえなければ一流のマラソン選手になれたかもしれません。
四男:聖醐
瀬古聖醐さんについては個人でSNSなどもやっておらず、学歴も含め詳しいプロフィールが分からない状態です。
東京でアメフト部がある高校は25校(私立20校、公立5校)とそれほど多くはないので、兄である瀬古天理さんと同じように私立の学校に通っていたのでしょうか(*^▽^*)
アメフトと言えばラグビーと同じように体の大きな選手がぶつかり合う激しい競技なので、小柄な体格では大変だと伺えます、
逆にトラックや跳躍などの陸上競技は前方に早く進み、遠くまで飛ぶために体重が軽い人ほど有利と言われています。
瀬古聖醐さんは、陸上もアメフトでも通用するような体ということでしょうか(´艸`*)
高校を卒業後に進学をしていれば年齢的にはまだ大学生ですから、現在も競技を続けている可能性は高いと考えられます。
瀬古利彦の奥さんの名前や経歴は?
参照元:https://twitter.com/tokomaru2021/status/1157919449531310083/photo/1
瀬古利彦さんのお子さんについては先ほどご紹介した通りですが、では奥さんはどうでしょうか。
瀬古利彦さんは、1984年に現在の奥さんと結婚をしています。
奥さんのプロフィールは以下の通りです。
一般人ということもあって詳しいプロフィールについては明らかにされていませんが、瀬古利彦さんと結婚をする前は幼稚園で教員をしていました。
実家は地元墨田区で材木店を営んでいる資産家で、一人娘である瀬古恵美さんは大事に育てられたと語っています。
馴れ初め
瀬古利彦さんと奥さんである瀬古恵美さんとの出会いは、お見合いでした。
マスコミを通してこの発表をすると、勤務先などに300人近い女性が応募の電話がありました。
とはいえ、さすがに応募者300人全員とお見合いをするわけにはいかないので、瀬古利彦さんが師と仰いでいる中村清監督と2人で話しをしながら6人まで候補を絞ります。
1987年に9月からお見合いがスタートし、1人目の女性となったのが現在の奥様です。
当時の印象について瀬古利彦さんは、このように語っています。
奥さんである美恵さんも婚約会見の場で、以下のように語っていました。
このように、お互いに相手に対して一目惚れをしていたということですね(*^-^*)
運命の相手に巡り合えた2人は、瀬古利彦さんからのプロポーズを経て1987年10月に結婚をしました。
プロポーズは10回目のデートで、喫茶店に訪れた時に瀬古利彦さんの
というストレートな思いに
と奥様の美恵さんが答えたと言われています。
下記に当時の記事が載っていました。
瀬古利彦の若いころはすごかった?マラソンの功績
参照元:https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2019100900009_1
瀬古利彦さんは、箱根駅伝の解説中の「1区から4区はいらない」を始めとした想像の斜め上を行く発言で話題となることも多いですが、マラソン選手としては非常に優秀な成績を収めています。
現役時代の瀬古利彦さんの主な成績がこちら
- 箱根駅伝
・2区11位 1:16:58
・早大13位
【1978年第54回大会】
・2区02位 1:13:54
・早大06位
【1979年第55回大会】
・2区01位 1:12:18
・早大04位 区間新
【1980年第56回大会】
・2区01位 1:11:37
・早大03位 区間新
- 社会人部門
1979年:福岡国際マラソン 優勝
1980年:福岡国際マラソン 優勝
1981年:ボストンマラソン 優勝
1983年:東京国際マラソン 優勝
1983年:福岡国際マラソン 優勝
1984年:ロサンゼルスオリンピック マラソン日本代表
1986年:ロンドンマラソン 優勝
1986年:シカゴマラソン 優勝
1987年:ボストンマラソン 優勝
1988年:びわ湖毎日マラソン 優勝
1988年:ソウルオリンピック マラソン日本代表
この成績は、歴代の日本人マラソン選手の中でもトップクラスです。
学生時代は、箱根駅伝に出場する1ヵ月前に国際マラソンに出場して優勝した経験もあります。
ただ早く走れるというだけでなく、コンディション作りや肉体的な強さという点でも瀬古利彦さんは一流のアスリートでした。
まとめ
瀬古利彦さんは、マラソン選手時代数々の成績を残しています。
奥さんとはお見合いで知り合い、お子さんも4人にいます。
長男の昴さんは現在病気療養中ということですが、家族に恵まれた生活だったのではないでしょうか。
次男の亜士武さんもご結婚されているということなので、これから孫が生まれる可能性もあります。
今後も楽しみですね(*^_^*)