小人の少女「アリエッティ」と人間の少年「翔」の物語を描く、スタジオジブリの人気映画「借り暮らしのアリエッティ」
映画はアリエッティが引越しをして翔と別れる形で終わりますが、その後の2人の行く末が気になる所です。
今回は、物語の続きと都市伝説を紹介していきます。
【借り暮らしの】アリエッティは翔とその後どうなった?
借り暮らしのアリエッティのその後についてはアリエッティと翔、それぞれの2つストーリーが噂されています。
- 翔と別れてから引越しを繰り返し、スピラーと結婚をして映画のエンディングで映された家で幸せに暮らすというハッピーエンド。
- 新しい住処を見つけたアリエッティ達は前回の反省を活かして(ハルさんに見つかって大変な目に遭う)、床下ではなく屋根裏に住み始めるが、屋根裏は毛虫やネズミなどの天敵ばかりで心が休まらず最後は猫に捕まりどこかに連れて行かれるというバッドエンド。
の2つストーリーです。
子供から大人まで楽しめるスタジオジブリの作品の終わり方としては最初のハッピーエンドが理想です。
しかし、小人だけにバッドエンドの方もあながち無いとは言い切れません。
- 手術が無事に成功する
- 手術は成功しなかった
の2つのストーリーです。
手術が成功していた場合、映画の冒頭で翔が語る「僕はあの年の夏、母の育った古い屋敷で1週間だけ過ごした」というセリフから、この物語は手術を終えて元気になった翔の思い出話という解釈ができます。
もう一方の成功しなかったストーリーは、アリエッティをハルさんから守るために動き回ったり、最後の別れで川まで走ったことで心臓に負担が掛かって手術に耐えられなかったというものです。
エンディングで翔の手術について一切触れられていないことから、こちらの説も否定できません。
翔の冷たい一言の意味
映画の中で翔がアリエッティに「君たちは、滅びゆく種族なんだよ」と発言するシーンがあります。
アリエッティと翔は良好な関係を築いているように描かれていたので、この発言に驚かれた人もいるのではないでしょうか。
突き放すような冷たいセリフですが、この言葉には翔のアリエッティに対する2つの感情が含まれていると推測できます。
- 一つは「世の中にたくさんの人間がいるのに、なぜ自分だけが病気で死んでしまうかもしれない」という現実を受け入れられないという怒りの感情。
- もう一つは、自分の母親は病気で苦しんでいる自分を置いて海外に仕事に行ってしまい独りぼっちなのに、アリエッティには家族や仲間がたくさんいることが羨ましいう嫉妬の感情です。
このセリフの後に「ごめん、死ぬのは僕のほうだ」と撤回をしていることから、決してアリエッティや小人達が滅んでいくことを願っているわけではないと言えます。
誰しもが抱く死への恐怖、傍にいてほしい人がいない孤独などのネガティブな感情に支配されていた精神状態で、無意識のうちに出てしまったのでしょう。
しかし、宮崎駿氏、映画プロデューサーの鈴木敏夫氏の二人の強い要望で入れられたと言われています。
【借り暮らしの】アリエッティの都市伝説の内容と真相は?
借り暮らしのアリエッティには数多くの都市伝説があるとネットで話題になっています。
まず一つ目が、
その姿を見ただけで誰しもが恐れ逃げ回る台所に潜んでいるあれ(笑)
ここではあえてGと表現します。
「借り暮らしのアリエッティ」の原作でもある「床下の小人たち」の舞台となっているイギリスでは、かつてGをジャムにして食べていた時代があるそうです。
信じられない話ですが、Gは見た目に反して栄養価が高く、病気の治療薬としても役立つとも言われています。
真相については定かではありませんが、できればこの説は真実でないことを願うばかりです。
もう一つが、
ジブリファンの間では、よく議論を交わされるのがスタジオジブリの映画「風の谷のナウシカ」達はアリエッティ達の子孫ではないかという話です。
一見すると全く繋がりがないように感じられますが、納得できる理由もあります。
映画を見る限りでは人間より遥かに大きな生物が世界を支配しているように見えますが、実は虫達の大きさは標準で、ナウシカ達が小人だから大きく見えているのではないかと言われています。
宮崎駿氏は明言していませんが、「風の谷のナウシカ」は1984年の公開なのでアリエッティを基準に作られたとも考えられるのではないでしょうか。
まとめ
滅びく運命を持つ小人の少女、病気と懸命に闘う少年「借り暮らしのアリエッティ」には運命を受け入れて生きる覚悟というメッセージが込められています。
今回の記事を参考に、新しい視点で作品を楽しんでみてくださいね(*´ω`*)